Pilates Synergyを展開する株式会社SPARX。大阪・肥後橋の小さなマンションの一室から始まったスタジオは、複数店舗を経営するまで成長しました。挫折と失敗を繰り返しながら「お客様の笑顔が見たい」という想い一つで歩み続けてきた、代表・杉直樹の物語をご紹介します。

テニスに打ち込んだ日々と、味わった「空白の3年間」
杉とスポーツとの出会いは、両親の影響で始めたテニスでした。中学時代は近畿大会に進むほどの強豪チームに所属し、高いモチベーションを持つ仲間たちと共に、達成感や悔しさを分かち合いながら夢中で練習に打ち込みました。
ところが、高校進学のタイミングで状況は一変します。学力面のリスクを避けて進学した高校のテニス部は、部員のモチベーションもばらばらな雰囲気。中学時代とのギャップに戸惑い、思うように熱を注げないまま、夢中になれるものを見つけられない高校3年間を過ごすことになりました。
「空白の3年間」。この経験は、環境が人のモチベーションや成果を大きく左右するということを、身をもって知った時期でもありました。
人と話すことが苦手だった青年が、パーソナルトレーナーを志すまで
高校時代のテニスへの未練を断ち切れず、進学先には体育系の専門学校を選びます。しかし、そこでもレベルの高さに苦しみ、テニス部はわずか1年で退部。それでも、この学校での学びが杉の人生を大きく変える出会いをもたらしました。パーソナルトレーナーという職業です。マンツーマンで身体の改善をサポートできる仕事に魅力を感じた杉は、フィットネスクラブでのアルバイトを始めます。
当時の杉は、人と話すことが極端に苦手なタイプでした。お客様に声をかけようとしても体が固まってしまい、無視されることもしょっちゅう。それでも、先輩トレーナーによる厳しい声かけ特訓を重ねるうちに、少しずつ人と話す楽しさに目覚めていきます。この変化が、後にパーソナルトレーナーとして独立するための土台となりました。
支えてくれた、京都時代の恩師
新卒で入社した京都のフィットネスクラブでは、サービス残業や体育会系の厳しい上下関係に苦しみ、心が折れかけたこともあったといいます。それでも、当時の支配人が杉の話に真剣に耳を傾け、時に食事に連れ出しながら将来について語ってくれたことが、大きな支えになりました。この上司との出会いがなければ、今の杉はなかったかもしれません。
その後、スカッシュ部門の再建プロジェクトや、滋賀県での店舗移転プロジェクトを任され、若くしてチームをまとめる経験を積みます。当時21歳だった杉は後輩2人と寝食を共にするほど濃密な時間を過ごしながらチームを牽引し、店舗移転を成功に導きました。チームで目標を達成する喜びを初めて実感した、忘れられない経験になったといいます。
24歳での独立、そして「お客様を笑顔にできなかった」苦い経験
フィットネスクラブで勤務していた大先輩の給料を知り、「これだけ結果を出しても、正当に評価されないのか」と感じたことが独立の決意を後押しします。2009年、24歳で会社を退職し、フリーランスのパーソナルトレーナーとして新たなスタートを切りました。
独立後、杉は昼間に柔道整復師の専門学校に通い、お客様の身体を根本から理解しようと学びを深めます。その背景には、膝や腰の慢性的な痛みに悩みながらも、適切な指導を受けられずに症状を悪化させてしまうお客様を数多く見てきた経験がありました。
原点になった、あるお客様との出会い
変形性膝関節症に悩むお客様との出会いは、杉の仕事観に大きな影響を与えた出来事です。「もう一度好きなテニスがしたい」というお客様の願いを叶えようと、持てる知識と経験のすべてを注ぎましたが、症状は改善せず、最終的に手術に至ってしまいました。「なぜもっと早期に、適切な判断ができなかったのか」。この後悔は、今も杉の原点として深く心に刻まれています。
独立当初は、集客の難しさにも直面しました。40人ものトレーナーが在籍するフィットネスクラブの中で、指名してもらえるお客様を見つけられず、貯金も自信も目減りしていく日々。「トレーナーに向いていないのではないか」とまで思い詰め、一時はメインの仕事を整骨院のアルバイトに切り替えるほど、自信を失っていた時期もありました。
21歳の後輩との出会いが教えてくれた「本当の答え」
転機になったのは、契約先のフィットネスクラブに入ってきた21歳の若手トレーナーの存在でした。杉が1年かけても上げられなかった売上を、彼はわずか1カ月弱で叩き出したのです。「環境は自分と同じはずなのに、なぜあんなに結果を出せるのか」。
結果を出せなかったのは、環境のせいではない。自分自身の問題だったのだ——。
この気づきをきっかけに、杉は再びフィットネスクラブでのパーソナルトレーナー業に専念する決意を固め、ピラティスの知識を深めることとマーケティングを学ぶことという2つの挑戦を始めます。無料体験レッスンの導入や、お客様を紹介してくれるスタッフへの働きかけなど、実践できることはすべて試していきました。その結果、少しずつ結果が実を結び、半年後には月収70万円を達成。その後2年連続でグループ売上ナンバーワンのトレーナーへと成長を遂げます。
念願のマイスタジオ開業と、経営者としての最初の試練
2013年、28歳のとき、杉はついに念願のマイスタジオをオープンさせます。フィットネスクラブというブランド力に頼らず、自分自身の力でお客様に選ばれる場所を作りたい——そんな想いから踏み出した一歩でした。当初はチラシやSNSをきっかけに少しずつお客様が増え、経営は軌道に乗っていきます。
しかし、本当の苦難はここから始まりました。仲間が増え、法人化を果たして株式会社SPARXを設立したものの、経営者としての未熟さから組織運営の歯車が狂い始めます。現場に立つ時間が減っていく中で、スタッフには「なぜピラティスを軸にするのか」という理念が十分に伝わらないまま、それぞれが独自のトレーニングを取り入れるようになり、いつしか「ピラティスが行われないピラティススタジオ」になってしまったのです。
業績は悪化し、社員への給料の支払いすら難しくなる状況に。杉は涙ながらにスタッフへ状況を説明しましたが、信頼を取り戻すことはできず、次々とスタッフが会社を去っていきました。最終的に残ったのは杉と、専門学校時代からの盟友であるパートナー・大長の2人だけ。まさに、経営者としてどん底を味わった瞬間でした。
唯一残った仲間と成し遂げた「奇跡のV字回復」
崩壊寸前の会社から離れなかった大長の存在は、杉にとって何よりの支えでした。大長には絶対に幸せになってほしいと心に誓った杉は、事業を肥後橋の1店舗に集中させ、大長と2人で会社の未来を徹底的に話し合います。目指す会社の姿を共有し、ピラティスという軸をぶらさないための教育体制を一から作り直しました。
こうして質の高いピラティス指導を提供できる体制が整うと、お客様は驚くほどのペースで増えていきます。新たに採用したスタッフにも理念をしっかりと伝え、同じ過ちを繰り返さないよう丁寧に育成を重ねた結果、2019年には2店舗目をオープンするまでにV字回復を遂げました。
その矢先に訪れたのが、新型コロナウイルスの流行です。緊急事態宣言によって2カ月間の休業を余儀なくされる中でも、杉は雇用を守ることをスタッフに約束し、オンライン研修やSNS発信を通じてスタジオの体制強化に努めました。この決断が功を奏し、緊急事態宣言明けには体験希望のお客様が大きく増加。コロナ禍を乗り越えたことで、組織はむしろ以前より強くなったといいます。
「社員が輝かないスタジオに、お客様の輝きはない」という経営哲学
大量離職という手痛い経験を経て、杉が何よりも大切にするようになったのが「従業員満足度」です。技術指導だけでなく、スタッフ一人ひとりの目標や夢に丁寧に向き合い、その実現を後押しする姿勢を貫いています。実際に、再出発後に1人目の社員として入社したスタッフは、今ではマネジャーへと昇格し、後輩たちの模範として会社を支える存在に成長しました。
「社員が輝かないスタジオに、お客様の輝きはない」
こうした理念経営のもと、杉は「従業員満足度を高める」「日本一のピラティスカンパニーになる」という2つの目標を掲げ、2031年までに10店舗展開、社員数30名、売上5億円の達成、そして「働き甲斐のある企業ランキング」への入賞を目指しています。
経営者の心と体に向き合う——ポテンシャル発揮というテーマへ
パーソナルトレーナーとして数多くの経営者と向き合う中で、杉はあることに気づきます。デジタル化が進み、長時間のデスクワークを強いられる経営者は、知らず知らずのうちに身体へ大きな負担を蓄積させているということです。姿勢の悪さや慢性的な肩こり、集中力の持続困難といった不調を抱えながらも、それに気づかないまま働き続ける経営者が少なくありません。
体は経営者にとって最も重要な経営資源——そう考える杉は、単なる治療ではなく、お客様自身が「自分の体は自分でケアする」という主体的な姿勢を身につけられるようサポートすることを重視しています。
ケース:60代女性経営者の回復ストーリー
長年のデスクワークによる重度の膝関節症で「手術しかない」と診断された60代の女性経営者に、詳細な体の分析に基づくオーダーメイドのリハビリプログラムを提供したケースがあります。緩やかなストレッチから段階的に運動強度を上げていくサポートの結果、3カ月後には杖が不要になるまで回復。半年後には階段の昇り降りも楽になり、現在では海外出張や趣味の旅行も楽しめるようになったといいます。
こうした一つひとつの成果が、集中力や決断力の向上といった声にもつながり、体の状態を整えることがビジネスパフォーマンスの向上に直結するという確信を、杉自身がますます深めているそうです。
数字で振り返る、これまでの歩み
- 2009 フリーランスのパーソナルトレーナーとして活動を開始
24歳で会社を退職。大手フィットネスクラブと業務委託契約を結び、独立の道を歩み始める。 - 2013 マイスタジオをオープン
28歳で念願の自店舗を開業。フィットネスクラブでの実績を土台に、自らの力での挑戦をスタート。 - 2015 法人化、そして社員5名がほぼ同時に離職
株式会社SPARXを設立するも理念の共有不足から組織が崩壊。残ったのは杉とパートナー・大長の2人だけに。 - 2019 2店舗目をオープン
教育体制を立て直し、質の高いピラティス指導が実を結び、奇跡のV字回復を果たす。 - 2021 経営者コミュニティBNIチャプターを発足
発起人・プレジデントとして、経営者同士のつながりづくりにも力を注ぐようになる。 - 2022 フランチャイズ展開、直営4店舗体制へ
武庫之荘スタジオがフランチャイズ1号店としてオープン。事業は着実に面を広げていく。
杉直樹の保有資格
柔道整復師としての国家資格から、ピラティス・コアコンディショニングの専門資格、さらには話し方や栄養・救急対応に至るまで、身体と向き合うプロフェッショナルとして幅広い分野の学びを重ねてきました。
- Aspirations Pilates ファウンダー
- 日本プロスピーカー協会認定 ベーシックプロスピーカー
- 柔道整復師
- 日本コアコンディショニング協会認定 マスタートレーナー
- EBFA ベアフットトレーニングスペシャリスト
- Silk Suspension™ ファンダメンタルズ Ⅰ・Ⅱ
- MOS ムーブメントファンダメンタルズ
- 分子整合医学美容食育協会認定 プロフェッショナルファスティングマイスター
- 健康美容食育指導士
- 日本赤十字社 救急法救急員
お客様や周囲から寄せられる信頼の声
杉のトレーニングを受けたお客様からは、身体の変化だけでなく、日々の仕事や生活の質そのものが向上したという声が数多く寄せられています。
疲れにくい身体と、深い呼吸を取り戻して
長時間のデスクワークによる肩こりや腰痛、呼吸の浅さに悩んでいた経営者や専門職の方々が、トレーニングを通じて疲れにくい身体を手に入れたり、自分自身で体をケアする技術を身につけたりと、それぞれの形で変化を実感されています。
「やり抜く力」と「引き出す力」への信頼
周囲の経営者仲間からは、杉の人柄について「決めたことをやり抜く実行力」や「周囲を巻き込みながら前に進む力」、そして「相手の可能性を諦めずに引き出そうとする姿勢」を評価する声が多く聞かれます。
これから目指す場所
「悩みやコンプレックスから解放され、新たな一歩を踏み出せるような場所でありたい」。この理念は、杉自身がテニスでの挫折や独立後の苦しい時期、そして経営者としてのどん底を味わってきたからこそ生まれた、実感のこもった言葉です。
経営者の健康促進こそが日本の経済をつくるという確信のもと、大阪から始まったピラティススタジオは、全国展開へ向けて着実に歩みを進めています。一人でも多くのお客様が、心身ともに軽やかさを取り戻し、新たな一歩を踏み出せるように。杉直樹とSPARXの挑戦は、これからも続いていきます。